労働、この恐るべきもの
労働とは恐るべきものーー
徐々にそんな確信が僕の中で育っていった。
思い起こせば、いくつもバイトを経験する中で、
僕がこうありたいと憧れるような労働者は一人もいなかった気がする。
僕の生まれて始めての店長は、ちょこまかと動く背の低い眼鏡のおじさんだった。
几帳面な性格で、業務に一切手抜きはしなかった。
働くということを知ったばかりの使い物にならない僕に、手取り足取り教えてくれた。
店のオーナーは白髪の老人で、大きな耳とシワだらけの顔が
猿そっくりだったので、猿じいと陰で呼ばれていた。
猿じいの仕事は日々の売上を銀行に入金することくらいだった。
一応毎日店に顔を出したが、ほとんどの時間は楽器を弾いたり、
店をウロウロしたり、店にやってくる子供たちと長話をしたりしていた。
店は猿じいが道楽でやっているようなものだった。
この猿じいに店長は目の敵にされていた。
カラオケ屋の売上は時に1人も客がこないほど悲惨だった。
その原因はバイトの目から見ても明らかだった。
カラオケの機械は一世代どころか二世代も前のもので、
マイクはすぐハウリングし、椅子や壁はボロボロだった。
それでいて料金が安いわけでもなかった。
だれがわざわざこんな店を使うのかと、バイト達ですら首を傾げた。
しかし猿じいの曇った目には、売上が少ない原因は
もっぱら店長の無能もしくは怠惰によるものと映った。
猿じいの説教は長くて有名だった。
ときには二時間以上説教し続けることもあった。
(30分ほど説教したかと思うと、またもとの話題にループしたりした)
店長はいつもうなだれて説教を聞いていた。
客が来ないので説教が中断されることもなかった。
店長が新しい機材を導入したいと言っても、「そんなことは売上を増やしてから言え」と一蹴された。
売上が悪い見せしめに、店長は平社員とまったく同じ給与だった。
バイト達の前でも猿じいは平気で店長の悪口を言った。
店は中学生の不良たちにたびたび占拠された。
店長は彼らを追い払いたがっていたが、
肝心の猿じいが近所でくだを巻いている不良たちを店に呼び込んで、
菓子やジュースを配ったりするので、手が付けられなかった。
一度店長が煙草を吸っていた中学生を注意したら、
「余計なことをするな」と猿じいに怒鳴りつけられていた。
中学生達はつけあがり、その後も堂々と店長の前でくわえ煙草をした。
バイト達はやる気のかけらもなかった。
店長が目を離すとすぐにゲームや漫画に没頭し、まるで呼吸をするように不正をした。
注文されていない食材がみるみる減った。
恐らく店長は勘づいていたが、あえて問題にすることもなかった。
バイトをクビにすればあいた穴は自分で埋めなければならないし、
管理不行き届きということでまた猿じいにコテンパンにされるに決まっていた。
何よりもうモチベーションがなかったのだろう。
よく業務の最中に「辞めたい」「帰りたい」と呟いていた。
そういう時の店長は決まって無表情だった。
店が潰れる数ヶ月前にようやく店長は辞めた。
退職の挨拶の時、彼は僕たちアルバイトに、これまでで最高の笑顔を見せた。
伯父の水産工場で短期バイトをした。
木枯らしの吹く季節だった。
伯父の車で初めて工場に出勤し、休憩室で他のパート達が出勤するのを待つと、
ジャンパーに長靴姿の初老の男女が三々五々集まってきた。
薄暗い部屋の中、石油ストーブを囲んで彼らは談笑した。
もっぱら病気と、介護と、ギャンブルの話題だった。
伯父の両隣に50〜60代くらいのが女性が座り、「両手に花じゃの」とからかわれて伯父は照れていた。
彼らの体からは魚の匂いがした。
僕の仕事は凍った魚の餌をカッターナイフで開けていくことだった。
吹き付ける海風が冷たくて、しきりに鼻水を啜った。
分厚い手袋をしていたが、すぐに痺れて手指の感覚がなくなった。
重い箱をもって、何度もマイナス30度の冷凍庫に出入りした。
水揚げされたばかりのサンマの入ったコンテナが大量に運ばれてきた。
魚の詰まったコンテナは光に反射してまるで宝石箱だった。
僕は帽子を被った初老男性とペアを組んで、
コンテナからサンマ以外の魚を弾く仕事をした。
ときどき混ざっているアジやらイカやらを床に無造作に捨てていった。
ずっとかがんでいるので、一時間もすると腰が痛くなった。
僕とペア組んでいる初老男性が仕事の手を止め、
そそくさとポケットから煙草を取り出し、ライターで火をつけて一服した。
その瞬間、伯父の怒声が響き渡った。
「ワレ、なにしとる」
長靴を鳴らしながら鬼のような形相をした伯父が駈けてきて、
僕の目の前で煙草を吸った男性の尻を凄まじい勢いで蹴り上げた。
小柄な男性の体が一瞬浮き上がるほどだった。
男性は尻をおさえて、不明瞭な言葉で弁解した。
伯父はげんこつを握ってさらに威嚇した。
伯父が持ち場に戻った後、男性は作業をしながら、小さな声でずっと伯父の悪態をついていた。
僕はすっかり意気阻喪して水産工場で働くのをやめた。
ファミレスでバイトをした。
ここの社員たちは僕が見てきたなかでももっとも長大な労働時間を誇った。
何もない平日でさえ12時間労働を超えることは珍しくなかった。
ゴールデンウィークや年末年始などの忙しい時期には、労働時間は15〜17時間に達した。
(朝9時から深夜2時まで)
もちろんほぼすべてサービス残業だった。
休みは月に2-3回で、バイトが突然休んだり辞めたりすれば、その休みすらも失われた。
休憩時間はほとんど店の休憩室にこもって食事をするか、
愚痴や冗談を言うか、うたた寝するかしていた。
そして休憩終了時刻のきっかり5分前になると、
いそいそと代わり映えのしないルーチンワークに戻っていった。
この人たちは何が楽しくて生きているんだろう…と僕は真剣に悩んだ。
テレビも見ない、映画も見ない、小説も雑誌も漫画も読まない、
社会の動きや世界の問題にも興味がない、芸術やスポーツを嗜むこともない、
知識の獲得や心身の鍛錬に熱心なわけでもない、友人や家族との触れ合いもない…
同じような仕事をし、賄い飯を食べ、家に帰って眠るだけの農家の家畜のような日々。
刑務所の囚人や黒人奴隷でももっと人生の楽しみがあるのではないかと思わせた。
一度、チーフが売上のことで常務だか専務だかに扇子で引っ叩かれていた。
仕事をしていたバイトたちが一斉に振り返るほど大きな音がした。
店長は顔中に汗を浮かべながら太った上司に頭を下げていた。
それを見て僕は、会社員とはもはや人間ではないのだなと思った。
会社という巨大な組織を回すために使い潰される牛馬か部品だった。
チーフは何事もなかったかのようにその日も深夜まで残業をした。
チーフは休憩中、頬杖をついてよく窓の外を見ていた。
窓からは道路が見え、行き交う車が見え、連なる家々が見え、青い山脈と白い雲が見えた。
世界はこんなにも広いのに、 店長の一度きりの人生、そのもっとも輝かしい時期は、
ほとんどこの狭いファミレスの中で過ぎ去ってしまうのだと思った。
僕の中に人間をやめたくないという強烈な思いが涌き起こってきた。
最後のバイト先は某ショップのレジうちだった。
ここの社員はだいたい12時間労働が相場というところだった。
店長というものはえてして売上の奴隷だが、ここの店長もご多分に漏れなかった。
毎日の売上に一喜一憂し、二言目には売上、売上と呟き、
棚の位置をひとつずらすのでさえ何日も悩んだ。
ちょっとガラの悪い高校生が集団で来たりすると、
「おい、万引きっ、万引き気をつけろよ」と僕に耳打ちして、
自分も彼らのそばで商品を整理するふりをしながら監視を始めた。
極端に客が少ない日には売上を増やすために、
自分でカゴいっぱいにポテチやら飴やらジュースやらを買って帰った。
(僕はそれを見てドン引きした)
そんな日は月に何回もあった。
客が怒ればたとえ非がなくても下僕のように平身低頭謝り、
本社から役員が来る時は戦々恐々として、
額に汗を浮かべながら視察に来た上司におもねっていた。
朝は開店の一時間も前から出勤して事務をし、
開店の時間になってからようやく出勤のタイムカードを押した。
運動会前日と言うことで、行楽用品がよく売れる日があった。
店長にも小学生の子供がいることを知っていたので、
「運動会、見に行かないんですか」と僕が訊くと、
「土日は休めないよ」と店長は当たり前のように答えた。
子供の運動会すら見ることのできない人生があるということを僕は知った。
それを常識のことのように語る人がいるということも。
店長は昔は映画監督になりたいという夢があったらしいが、今は帰宅後にビールを飲むのが何よりの楽しみらしかった。
僕は就職活動をまったくしなくなった。
心底恐怖に震えていた。
なぜこんなシステムがまかりとおっているのか、ワケを知りたかった。
就職とは自殺と同義だと思った。
・はじめに
・第1部「僕の人生から就職が消えた」
・第2部「月収200万円の憂鬱」
・第3部「起業に興味のない起業家」
・第4部「燃え上がる家、没落の父」
・第5部「麗しき労働の日々」
・第6部「地獄のような労働との遭遇」
・第7部「労働、この恐るべきもの」
・第8部「システムの隅っこにあいた風穴」
・第9部「僕はアフィリエイトで生きていこうと思った」
・第10部「100万円という札束」
・第11部「資本主義のてっぺんらへん」
・第12部「香港旅行中にサラリーマンの年収分稼ぐ」
・第13部「手に入れた自由な人生」
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