100万円という札束
生まれて初めて100万円という札束を握ったときの感動は、
とても一言で言い表せるようなものじゃない。
ただの100万円じゃない。
喉から手が出るほどお金が欲しい状況で、
何もなかった学生が、誰にも雇われず、
イチから自分の力だけで稼ぎ出した100万円だ。
僕はその分厚さを何度も試し、写真を撮り、
自分のボロボロの財布に無理にしまってみたりして、
札束の感触を十分堪能してから、その金を両親に渡した。
札束は借金の返済のため、その日のうちに消費者金融のATMに吸い込まれた。
10年近く両親を苦しめた消費者金融のひとつを完済した。
その調子で、毎月お金が入る毎に、札束をATMや店頭へ運んだ。
無限とも思われた借金が凄まじいスピードで減っていった。
返済すると消費者金融がまた「金を借りないか?」と電話してきたが、
さすがの父も懲りたらしく、すぐに断って電話を切った。
パソコンもインターネットもまったく無縁の母は、
僕が悪いことをしているんじゃないかと気が気ではないようだった。
僕は何度も自分のやっているネットビジネスが
犯罪ではないことを説明しなければならなかった。
緊急性の高い借金を返し終わっても、
まだ10年近く溜めに溜めた各種税金の滞納があった。
こちらも数百万円は軽くあった。
よくこんなに溜め込んだものだと僕はぶつぶつ両親に文句を言いながら、
仕方なしにそちらも肩代わりした。
実際、思いのほか短期間で稼いでしまった金なので、そこまで執着もなかった。
僕自身まだ実感があまりなかったのだと思う。
皿洗いで稼いだ数万円を渡すときの方がよほど断腸の思いだった。
結局目立った借金・滞納を払い終わるまでに、約1年かかった。
督促の電話や金にまつわる喧嘩が絶えなかった我が家に、
ようやく平穏な食卓が訪れた。
「私らの子がどえらいもんに育った」と母がニコニコしていた。
「子はかすがい、子はかすがい」と父がしきりに呟いていた。
僕も悪い気はしなかった。
両親は今でも暇つぶしにパチンコをするが、
せいぜい1円パチンコで遊ぶ程度のもので、
昔のように無茶な負けをしてくることはなくなった。
借金を返さなければならないというプレッシャーがなくなったからだと思う。
僕が東京に引っ越すと両親がしきりに帰ってこいと電話してくるので、
2ヶ月に1回くらいは帰省することにしている。
今両親は僕の仕送りで食べている。
父の趣味がテレビなので、
チャンネル数が100近くになる有料サービスに申し込んであげたのだが、
帰省するとよく夫婦が取っ組み合いのチャンネル争いをしている。
・はじめに
・第1部「僕の人生から就職が消えた」
・第2部「月収200万円の憂鬱」
・第3部「起業に興味のない起業家」
・第4部「燃え上がる家、没落の父」
・第5部「麗しき労働の日々」
・第6部「地獄のような労働との遭遇」
・第7部「労働、この恐るべきもの」
・第8部「システムの隅っこにあいた風穴」
・第9部「僕はアフィリエイトで生きていこうと思った」
・第10部「100万円という札束」
・第11部「資本主義のてっぺんらへん」
・第12部「香港旅行中にサラリーマンの年収分稼ぐ」
・第13部「手に入れた自由な人生」
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